第3部 パリで再び



南仏帰り


 やっぱり、パリはいい。TGVを降り バックパックを肩にひっかけてメトロに 乗り換える。パリのなんとも言えない雑 踏感が僕の肌に合ってる気がする。とり あえず、馴染みのホテル・リベルテイへ行 くことにした。
「ムッシュ、お久しぶりです」ホテルの 従業員は僕の顔を覚えてくれていた。
「やあ、アンリ、元気だった?チョっと 南仏の方に行ってたんだ。ところで、 今日なんだけど、空いてる部屋あるかな? 出来れば前に使ってた、あの21号室が いいんだけど」
「チョっとお待ち下さい。ええ、空いて ます。でも掃除がまだなんで、少々、お待ち いただけますか?」
「もちろん、1時間ぐらいかな?じゃあ、 そこら辺をブラっとしてくるよ」 フランス語がスラスラと口をついて出て くる。少し得意な気持ちになっていた。

絶望


 パリに戻ってきてまず、グウと連絡が 取りたかった。早速、電話をしようと公 衆電話ボックスに入る。ところが、財布 の中に入れておいたメモは折れ目が擦り 切れて、どうしても数字が一つ読めなく なっていた。当てずっぽうに電話をかけ まくるが、「間違い電話でしょう。」と言 われてしまう。そうだ、ワンに電話しよ う。呼び出し音の後、いきなりワンの声 がした。
「ワン、ツヅキだ。パリに帰って来た。」
「ツヅキー!×○×△○○××△。」 そうだった。ワンはパリに2年近くいな がら、全くと言っていいほど仏語が話せ ないのだ。南仏にいるときも、いつも筆 談で、漢字を使うかボディランゲージで コミュニケーションをとっていたのだ。
「グウは、グウはどこにいるんだ。」
「グウ×○△×○グウ×○トラバーユ×」
 やっと、わかった単語は「グウ」「ト ラバーユ」だけだった。
 どうやら、グウは仕事に行っているら しい。「後で、また電話をする。」それだ けをなんとか伝えるのが精一杯だった。
 グウはパリにいる。だが、どうすれば会え るのだろう。僕は絶望に包まれ、電話ボッ クスを後にした。    

パリでカメラマン・デビュー!


 ホテルをモンマルトルに移った。南仏 で従業員用の相部屋で過ごしていた僕に は、ホテル・リベルティでも贅沢に思え たからだ。グウとの再会はほぼ絶望的と 考えた僕は、毎日カメラをぶら下げてパ リを歩き回っていた。ところが気温は、 氷点下になる日もあり寒くてたまらなか った。そんなとき暖かくて最も心安らぐの が美術館だった。ルーブルなどは何日いても 飽きないし、絵画などから構図やライティ ングなど、学ぶべきことは山ほどあった。
 そんなある日のこと、僕がいつものよ うに首からカメラをぶら下げて帰ってく ると、ホテルの主人が話しかけてきた。
「いつもカメラを持っているな。お前は カメラマンか。」と尋ねてきた。
「そうだ。」と応えると、
「今、うちの客室を改装しているんだが、 パンフレットを作るので写真を撮ってく れないか?」
「構わないヨ。」
「ところで、あと何日くらいウチに泊ま るつもりだい?」
「う〜ん、2、3週間ぐらい。」
「よし、今日から、部屋代はタダだ。 その代わりウチの写真を撮ってくれ。」
「Ok、フィルムと現像代だけはお願いで きるのかな」
「もちろん」
 交渉成立。僕の撮った写真がホテルの パンフレットになる。期せずして、パリで カメラマンとしてデビューすること になった。     

チャイニーズ・アメリカン


 翌日から、食堂、客室、中庭と少しず つ撮影を進める。それ以外の時間は美術 館巡りをしていた。 オルセー美術館へ入ろうとしていた時 のことだった。前を歩く女性が何かを落 とした。拾い上げてみるとそれは、黒い皮 のコンパクトカメラのケースだった。
「落としましたよ」と声をかけると、 振り向いたのは東洋系の顔立ちをした若 い女性だった。日本人ではない。ケース を手渡しながら反射的に「中国人ですか」 と尋ねると、
「ノー、アイマ、チャイニーズアメリカン」 歯切れのよいアメリカンイングリッシュが 返ってきた。
「中国語もはなせる?」「もちろん」と彼女 が答えた。やった!ついに英語と中国語 が話せる人に会えたのだ。僕は事情を話し、 中国語しか話せないワンに電話をしても らえないかと頼んでみた。
「電話するだけでしょ。もちろん、いいわ。」 早速、オルセー美術館の公衆電話か ら電話をかける。電話口に出たのは他の中 国人で、ワンは夕方には戻るとのことだ。
夕方まで時間があるので、僕等は一緒にオル セーを見ようということになった。彼女 の名前は「カレン」。出身は上海で、今は カリフォルニアのコンピューター会社で 働いているとのこと。休暇でパリに住む 友人の家に遊びに来たのだそうだ。大学で 美術史を専攻していた彼女は、僕に印象派 の絵画について丁寧に説明してくれた。 せめてものお礼に僕は美術館のカフェで 彼女にサンドウイッチとコーヒーを奢った。
そして、夕方もう一度ワンに電話をし てみる。ワンはいた。中国語での会話の 後、彼女は僕に親指を立ててみせた。上手く いったらしい。
「待ち合わせの場所は、 どこならわかる?」
僕は彼等と出会った 中華料理店の近くの駅名をあげた。
「プラスディタリーの駅前のマクドナルドが わかるか聞いてくれ」
「わかるって」
「じゃあ、明日の夕方6時にプラスディ タリー駅のマックの前で。グウは、グウ は来れるのか?」
「オーケーですって、グウが来れるかは、 分からないけど、来れたら一緒に行くって」
「カレン、本当にどうもありがとう」
「よかったわネ。あなた達は本当に友達だっ たのね、彼もあなたのことずっと探して いたんですって、大体、言葉もわからな い者どうしが、どうして友達なのか私は 最初、信じられなかったわ」
「う〜ん、筆談とか肩を叩いたりとかで コミュニケーションをとってたんだ。 それで十分、友達なんだ」
そんなものかしら、という表情で彼女 は肩をすくめた。       

再会


 夕方6時、プラスディタリー駅の横断 歩道の前に僕は立っていた。 彼等は本当に来てくれるのだろうか?あ たりはもう、薄暗くなってきている。 グウやワンと再会することなど、もう 半ば諦めていた。3ヶ月のオープンチケッ トの期限が迫ってきていた。3日後には 成田行きの飛行機に乗らなければならな かった。
信号が変わった。ふと目をあげると、 グウが満面の笑みをたたえ、両手を広げ て横断歩道を渡ってきた。スローモーショ ンのようだった。肩を叩き合い、抱き合 う。その上から、覆いかぶさるように ワンが飛びついてきた。
「再会」できた。「友」に。       

決意


 飛行機は確実にアジアへと向かっていた。 この旅の意味について僕は考えてみたが、 よくわからなかった。パリは美しく、肌に 合う気がした。ただ、アジェやブレッソン のような写真を撮るには、ウデが、技術と 経験が足りなかった。日本でカメラマンと してのウデを磨く。プロのカメラマンとし ての技術を磨き、再びパリに乗り込もう! 首から下げたカメラを握りしめ僕は、そう 決意した。先のことなどはわからない、 精一杯やるだけ。
 あとは、「勝手にしやがれ」だ。




<あとがき・次号予告>


 その後、Y氏のアシスタントとなった僕は 本格的に写真の勉強を始めた。2ヶ月後には 初仕事。半年後にはアシスタントを卒業して プロカメラマンとなった。短期間でプロに なれた理由は2つ。撮影現場で学ぶことと、 「月カメ」読んで、テスト撮影を繰り返した ことです。そんな僕が、「月カメ」に恩返し すべく、次号より「半年でプロになる!」 ページを担当します。応援よろしくお願い いたします。下手なプロのような写真を撮る ためではなく、自分を表現するためにプロの 技術が身につく講座にしようと思っています。
読んだ知識を自在に使えるかは、あなた次第 です。あとは、勝手にしやがれだ。           

都筑 清